「聖なる」とか「神聖」とかの言葉の意味を考えたら、眠れなくなりました。
何がきっかけだったかわからないんですが、ふと、こんな訳のわからないことを考え出してしまって。
ぼくは、異星人が地球人を創造した可能性を否定できないなと真面目に考えているんです。
聖書に出てくる神は実は異星人であり、何らかの目的で地球人を創造した、と。
それが高度な科学技術によるものだったとしたら、なんとなくヨーロッパのキリスト教的世界観の奇跡的な、神秘的な、幻想的なイメージも実は全部高度な科学技術で説明がついてしまうのだったとしたら、では「聖なる」とか「神聖」とかってなんなんだと。
辞書的意味での「尊い」は高度な科学技術によりもたらさせる恩恵になってしまったり、「清らかで汚れがないさま」は雑菌がいないさまとかそういうことになってしまったりするんでしょうか。
なんか、ちょっと、興ざめですよね。
まあ、お清めに塩をまくとかはもとを正せば、その殺菌作用に由来しているんじゃないかとは考えていたりするんですけどね。
聖書の神が異星人だったとして、では、その異星人は誰が創造したのか、どのように発生したのかと、考えると、更に高次の存在がある可能性も否定しませんけどね。
聖書の神を異星人だと考えているとしたら、無神論者ということになるんですかね。
聖書の神よりもっと高次な存在を崇拝する宗教ってあるんでしょうか。
ほら、天地創造の神とか言いつつ、地球のことを宇宙のことと同等と考えている時点で当時想定したスケールって小さいじゃないですか。
地上から見える空くらいですか。
ここまで宇宙がでかいことを想定していなかった感じ。
それこそ、全知全能とかって、「神格化」していますけど、少なくとも聖書の神は全知全能ではないですよね、と。
阿弥陀如來とかは宇宙・森羅万象そのもの的な、未知なものを未知なもののまま神格化し崇拝しているようなイメージがありますけど。
また日本神道で言うところの神々もまた別の概念が混ざっている感じがしますよね。
魂とか念とか?
ざっくりした知識しかないのでざっくりした考えでざっくりしたことしか言えないんですけど、こんなことを考えていました。
ただ、空から異星人がおりてきて、「やっほー、私が聖書に出てくる神だよ。私があなた方を創造したんだよ。根拠はこれこれこうだよ。ね、疑いようがないでしょ?」って言われても、おそらくこれまで信仰深かった人の殆どは信じないでしょう。
結局、人は自分の信じたいことしか信じる事ができないのでしょうね。